来年の桜を待つ日記

息子の大学受験を通した日々の記録。

その後

いま読み返したら、だいぶ端折ってますね(汗)
逆を返せば、短期間のうちに怒涛の変化が起こっているのです(私の中に)

いや、変化というよりは揺れです。
常に揺らいでいる。息子の人生、息子に任せよう好きにさせようという気持ちと、とはいえやはり気になって心配になって仕方ない、それから正直に言うと、親としての期待。その狭間で揺れています。

なぜ揺れるのか? それは、なんとなく自分でもわかっています。
親が子供に期待や理想をもつことが、あまりいいことではことと自分が考えているからです。私は、自分の理想を押し付けるような、そんな親じゃない、と思いたいからです。

だけど、この1週間グレながら自分を見つめ返してわかりました。
そしてある結論に行きつきました。
私は、そういう親なのです。息子に、自分のこうなったらいいな、とか、こういう風になってほしいな、という期待や理想を、押し付けようとしている欲深い親であり、見栄っ張りな人間なのです。
それを認めずして、あんたのためよ風味で息子に接しようと無理をしていたのです。

息子どころか、自分を「理想の親」に仕立てようとしていたのです。
理解があって、子供を尊重し自由にさせる器の大きい、でもあなたのことは大切に思っているから意見もする、できた母親。

本当の私は、自分の価値観を押し付けて、息子をうまくコントロールして、あわよくば自分の満足のいく結果を出させようとする、ただの俗な母親。

ここにきて、それを認めざるをえなくなりました。
つらいけど、先に進むための試練です。